奥ゆ記

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第4話〜イデアサイコロジーレポート

《 Idea Psychology Report 》

〜第4話『タイプを見分ける前に(後編)』

 

まだ目の見えない新生児にとって、世界との接点は限られています。

 

繰り返される呼吸の連続が唯一、一筋の線のようにして着々とその持続をたどっているかのようです。

 

その呼吸の中で、吐く息は「自分ではないもの」へと引き渡され、吸う息やお乳が、逆にその「自分ではないもの」からやってくるのです。

 

こうして、母親の胎内にいた頃には無かった「外の世界」というものが次第に形作られていきます。

 

そこにはまだ「相手」という具体的な対象はなく、身体感覚の向こう側に「自分ではないもの」が漠然とあるだけです。

 

意識こそはされませんが、その漠然とした世界というのは、口を境界にして「呼吸や飲食の対象」となっており、「吐いたり吸ったり」「求めたり飲んだり」するときの運動に対峙して膨張収縮するイデアとして、意識とは表裏の関係になっていると言えます。

 

前回の記事ではこのイデアは(顕在化の次元においては)「点球」にあたるとして説明しました。

https://nobiyan.hatenablog.com/entry/2019/11/30/222951

 

このように、口を通して世界とつながりを持っている時期を、フロイトの用語で「口唇期」といいます。

 

持続という一筋の流れの中においては、その後もその世界の中で経験が積み上げられることになりますから、そのイデアは大人になった僕らにもフレームのように根底にはたらいていると考える必要があります。

 

さて、やがて目が見えるようになってからも、磁場と電場の織りなすようにして、その膨張収縮のイデアが今度は次第に「視界」へと引き継がれていきます。

 

覗き込んでくる母親の顔やお乳の入った哺乳瓶、その他目の前に現れるあらゆる物が乳幼児にとっては膨張収縮するイデアとして映っているわけです。

 

まだ遠近感というものがありませんから、それらは実際に膨らんだり縮んだりしながら存在しているのです。

 

驚いたようにまん丸な瞳を凝らしてみせる仕草や、弾力性を感じる手足や全身の動きを見れば、乳幼児はまさにこの躍動する様々な球体のイデアに囲まれていて、あたかも身体をそこに同調させられているかのようです。


ずっと暗闇の中で対峙していたそれまでの静かな膨張収縮とは打って変わり、世界はまるで「ボヨンボヨン」しているイデアに溢れかえっており、それらと一体になって驚きや楽しさを伴いながら持続を紡いでいるのではないでしょうか。

 

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ところがある時を機に、それらのイデアが「名前」で呼ばれるという出来事が次々に起こってきます。

 

名称を与えられることよって、球体は躍動を止められ、言語空間の背後にまわされることになります。

 

イデアの膨張収縮性が「名称で固定されてしまう」ことによって、「遠く」や「近く」といった「遠近感」にとって変わることになります。

 

そこには当然距離が生じ、これまで幼児と一体だった世界は、距離で構成される3次元空間と、その中にポツンと置かれる「対象物」に分離します。

 

止められた躍動の代わりにその対象物は名前で呼ばれることを要請してきます。

 

名称を与えることで、それに応じた色形がもともとのイデアに付加され、それが対象物を象ることになります。

 

ちなみに仏教の「十二縁起」でいう「無明→行→識→…」に続く「名色(みょうしき)」というのは、この「名称と色形(しきけい)」の略のことで、このように人間型ゲシュタルトが働く過程を説明するための重要な要素として取り上げられています。

 

僕らはこういったいきさつによって、対象物から常に認識を要請される立場に身を移しているわけです。

 

言語空間では、「認識されるのを待つ」という方向性が物自体に働いているということです。

 

幼児はお母さんの言葉の教育によって、自然と「全部名前で呼ばなくちゃ」という意識を持つのだと思います。

 

「マンマ」

「パパ」

「ワンワン」

「ブーブー」

 

対象物に名称を与えると、周りの人達が飛び上がって喜んでくれるのです。

 


ハイデガーの著作に次のようにあります。

『人間はそもそも「言う」ことができるから、つまり、言語を持っているから動物と区別されるのです。』

(「ツォリコーン・ゼミナール」p126)

 

これがつまり人間の始まりなのかもしれません。

 

仮に人間型ゲシュタルトにアクセスしようと思えばここに立ち帰って、物を遠近感ではなく、膨張収縮として視る習慣を取り戻せば良いということになります。

 

ただそこに人間同士のしがらみが働いていると、そのような観方を出来る境界にはなかなかなれないものです。

 


そこに導いてくれるものがイデアサイコロジーエニアグラムだと考えています。

 


前回の投稿に引き続いて長々と胎児から幼児期までの心の風景を振り返ってきましたが、ようやく「タイプの見分け方」の説明ができる準備が整いました。

 


さて、幼児はその後の発達段階においてもこのような「言語空間」のフレームの中にいます。

 

また、生活の中で様々な不安や欲求に直面する時も、この「言語空間」での対処の仕方を問われているわけです。

 

大きな不安や不満に直面した時、僕らは本能的にその経験から最も信頼できる行動パターンを選択していきます。

 

その行動パターンが、この口唇期の「自分ではないものと自分との関係性」において取られているというケースが、これから説明する「口唇期タイプ」と呼ばれる3つのタイプです。

 

春井星乃さんがブログで「口唇期タイプ」というものを説明されていますが、それを次のように解釈しています。

 

まさに今、名称を与える直前の「物への視線」は、それが何であるか把握されることへ方向性を持たされています。

これは潜在化における「Ψ3」の風景です。

 

(なぜ「潜在化における」と言うのかというと、「名前で呼ばれる」ということ、つまり「対象化」することが前提「先手」となって働いている視線だからです。

「偶数観察子Ψ4が先手となっている流れにおけるΨ3」ということです。)

 

対象を「把握すること」によって不安や欲求を解決出来た経験を持ち、その後その行動パターンを信頼して逆にその行動パターンに囚われることになってしまっているのが「タイプ5」です。

 

「タイプ5」は、「把握すること」でお母さんに褒められたのかもしれないし、逆に把握できなくて叱られたのかもしれません。

どちらにしても「把握すること」「調べること」「空気を読むこと」を真っ先に考えるわけです。

 

次のタイプです。

「物への視線」ではなく「物からの視線」に対して、自分(の自己イメージ)が何であるかということに囚われているのが「タイプ4」です。

「潜在化におけるΨ*3」の風景です。

 

最後は、「どちらの視線も生じない」という無難なところに平和を見つけ、そこに自分が収まろうとする行動パターンに囚われているのが「タイプ9」ということになります。

「潜在化におけるΨ4」の風景です。

 

「漠然と物があるΨ3」

「漠然と自分があるΨ*3」

「漠然と世界があるΨ4」

これら3つの空間には、まだ「相手」というものが存在していませんから、「言う」というところまで至ってません。

 

このように「言う」ことの前段階で囚われにあっている口唇期の3つのタイプは、当然「あまり主張しない」「対話を避けている」という、どちらかというと「控えめな雰囲気」を特徴として持っていると言っても良いのではないかと思っています。

 

ただしこれは決して単純に「おとなしい」という意味ではなく、「状況から自分を遊離させる行動パターンに囚われている」ということです。

 

それは、次の肛門期の「自己主張型」の3タイプや、男根期の「追従型」の3タイプと比較することでイメージがより掴めてくるのではないかと思います。

 

肛門期タイプである「自己主張型」は先程の言語空間において「相手」に対して「言う」ことによって最大の不安や欲求を対処出来た経験を持つことから、「主張すること」を信頼できる行動パターンとして選択し、そこに囚われ続けているタイプです。

「タイプ8(Ψ5)」「タイプ7(Ψ*5)」「タイプ3(Ψ6)」です。

 

そして男根期タイプの「追従型」は、さらに成長したところで、「従ったり従わせたり」することによって最大の不安や欲求を対処出来た経験を持つことから、「追従」を信頼できる行動パターンとして選択し、そこに囚われ続けているタイプです。

 

よくお母さんが「〇〇しなさい!」「〇〇しなきゃダメじゃないの!」と叱りますが、それに従ったことや、お母さんの真似をして周囲を従わせることで不安や不満が解消した経験があるのかも知れません。

「タイプ2(Ψ7)」「タイプ1(Ψ*7)」「タイプ6(Ψ8)」です。

 

誤解の無いよう補足しますが、これらは決して、それぞれ「口唇期」「肛門期」「男根期」で囚われにあって、そこで成長が止まってしまっている、ということではありません。

小学生になるくらいまでに決定される行動パターンが、その「口唇期」「肛門期」「男根期」のいずれかで作られた空間形式の中で見出されている、ということです。

 

個人的にはこれら「口唇期」「肛門期」「男根期」のタイプ分けが比較的最初の「ふるい掛け」としてはわかりやすいのではないかと思っています。

 

簡単に言えば、「存在感」として「控えめな人」なのか「主張する人」なのか「従ったり従わせたりする人」なのか、ということです。

 

もしかしたら、僕自身がどちらかというと控えめで、常に相手との距離を取りたい「タイプ5」なので、相手がこの中のどれかというのを重要な情報と考えてしまいますから、個人的にこの見分け方が鍛えられていて、勝手にわかりやすいと思ってるだけなのかもしれません。笑

 

エニアグラムには9つ全部を3つに分類する方法がいくつかありますので、各々が得意な方法で2回ふるいに掛ければタイプを特定することができると思います。

 

次回はそれを紹介したいと思います。

 

 

春井星乃さんのブログ「星乃かたちみ」での解説はこちら↓

(「口唇期」から順に解説されています)

http://hoshinokatachimi.blog.jp/archives/3019801.html