奥ゆ記

ヌーソロジー片手に奥行きを歩きましょう♪

あなた以外何も欲しくない 〜釈尊の論理学〜

こんにちは。

このブログでブッダ釈尊の話を担当するマイケル・シャクソンです。笑

 

突然だけど、君は異性に次のどちらのセリフを求める?

 

A「あなた以外何も欲しくない!」

B「あなたが欲しい!」

 

この二つのセリフは似たようなものだけど、微妙にニュアンスが違う。

それは「あなた」という言葉に持たせてる存在性だ。

 

どういうことかって?

それはね。

「B」の「あなた」に与えられている存在性は、相手が思い描いてる「あなた」だよね。

「本人が描いてる自分らしさ」とは全く違うかもしれないよね。

だから、このセリフを受け入れちゃったら最後、君は常に相手が思い描いてる「あなた」を無意識に求められていくことになるよね。

 

それに比べて「A」のセリフによって、相手に定義されているものは「あなた以外(の全て)」だよね。

だから、「あなた」はフリーだよねー🎶

 

つまり「A」の場合、「あなた以外を確定する」という方法がとられたことによって初めて生じた「まだ未確定の空間」に、自由度をもって「あなた」が存在している。

ここがポイント。

 

自分自身でいることが相手側にとっても好ましい。。

これって、大切なことだよね。

 

でも、うまく人に伝えるのは難しいよねー。

「ターゲットを確実に指ししめすことができる」方法によってだけ、初めて本当に概念の共有ができるというもの。

正確に想いを伝えるには、やっぱり論理性に訴えることの出来ている表現がとても必要。

 

ここには因果律という法則が働いてて、こういう「倫理と論理の接点」が人に確信を与えるんだ。

釈尊はこれらの方法を使って弟子に教えたんだよ。

その中の一つが、ここで紹介した「それは〇〇ならざるものではない」という言葉の配列によってターゲットを限定する方法だよね。

よく出来てると思わない?

 

釈尊が「一切を知る者」と呼ばれるのは、例えば、君の昨日の晩ゴハンのメニューまで全部知ってるって意味じゃない。笑

会話の中に「それ」と「それ以外」を配置してみせることで「認識可能な全て」つまり「一切」を露見させる。そうすると「不安要素」が居場所を無くし、やがて確信に変わる。

このような、思考と心境の共同作業によって確信を持つ方法は、大脳が単独で行う「煩悩」ではなく、間脳との連携による「智慧」なんだねー。

 
こういう場面には、日常にない特別な瞬間が存立される。

それは、「とにかくそうなんだ」という確信なんだ。

唯物論的に見れば、その瞬間その空間においては倫理性と論理性が実際に運動しているともいえる。

それを量子学の数式がどう表現しているのかということは、僕ももっと勉強しないとね。

 

ちなみに仏教ではその出来事を「如く来る」と表現し、「如来」という名称で対象化している。

如来」を常に礼拝の対象とすることで、倫理や論理の単独による暴走が監視されてるんだね。

 

まぁそんなことより、また誰か言ってくんないかなぁ。

どっちのセリフでも構わないからさぁ。。

 

イラストは、絵描きで脳幹セラピストの藤田マイ子さんにわざわざ描いていただいたものです。

↓藤田さんアメブロアドレス

https://ameblo.jp/taiyou-tsuki-hoshi

f:id:Nobiyan:20190414004405j:image

 

2019.04.14 加筆、修正しました。