奥ゆ記

ヌーソロジー片手に奥行きを歩きましょう♪

自己と他者の回転について

こんにちは、村岡です。

今日は朝から食器を洗ったり洗濯物を干したり明日の仕事の段取りをしたり、今は道場からの帰りでホームセンターの駐車場に車を停めてこれを書いてます。

割と目まぐるしく動き回っていますがアイススケートの選手のように回転しているという認識はありません。

今日はその回転ということについて奥ゆ記してみたいと思います。

回転というものが意識というものの成り立ちを思考していくにあたって特別な概念というか運動というか、とにかく特別なものであると考えるようになったのはやはりヌーソロジーを思考するようになってからです。

わかりやすくいうと僕が考える回転には大きく分けて二種類あると思ってください。

一つ目は目の前で回っていることがわかる回転です。

タイヤ、コマ、などといった物体や天体はもちろん、会社の経営や家事などのような抽象的なものも目の前で回っています。

これらは回ってることがみえているので「顕在化」している回転と呼んでいます。

そうなるともう一つの回転は「潜在化」している回転ということになります。

冒頭でお話ししたように僕は今日一日色んなところに行って色んなことをしました。でも僕には回転していたという認識はありません。

でもここで次のように考えてみてください。

これを読んでいる皆さんがどこにお住まいなのか僕にはわかりませんが、今日一日の僕はそこから観ていると明らかに回転しているはずです。もちろん規則正しい周期でではありませんが、太陽の位置から地球をみるように視線の先でクルクルまわっているわけです。

ここにおいて初めて僕の回転が成り立つということになります。

また、皆さんが今日一日何をしていたのか僕は知りませんがやはり間違いなく僕の前においては僕の場合と同じように回転しているわけです。

今日のこのブログを接点として皆さんとの間に生じる意識、僕の「これを読んで面白いと思ってもらえるだろうか?」という意識や、「村岡さんっていつもこんなことばかり考えて変わった人だなぁ」とか。

そのような意識も含めてあらゆる現象はこのような見えない潜在化した回転が裏にあり、その差異に生じさせられていると考えます。

前々回の記事で「意識は局所的に生じさせられているものではなく、両者の連関として生じている」と書きましたが、それらは決して同一空間におけるニ点間の延長的な差として生じているわけではなく、このような「潜在化した二つの回転の差異において」という意味です。

前々回の記事

https://nobiyan.hatenablog.com/entry/2019/01/10/204453

そこにおいて素粒子を構造、また同時に奥行きとして見ていこうとしているわけです。

太陽と月と地球の関係も顕在化した回転として見ていたのでは意識の起源をそこに連想する事は難しい気がします。

おっと、もうこんな時間!

さっさと買い物済ませて明日の段取りの続きをしなくては。。

では、もう少し回らせていただきまーす!笑

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