奥ゆ記

ヌーソロジー片手に奥行きを歩きましょう♪

存在〜回転の秘密より

こんにちは、のびやんこと村岡です。

ブログも5回目になりましたが、遅ればせながら今日はきちんとした自己紹介をさせていただいてそこからお話しに入りたいと思います。

 

僕は小学生の頃から割と勉強好きで、特に歴史や幾何学などはよく専門書などを読んでいました。

壇ノ浦の合戦のあった下関市で育ちましたので源平の歴史などは特に興味がありました。

運動は苦手でしたが中学生の頃までは成績が良く校内でもトップの方にいました。

そのまま進学校に入学しましたが、ロックに出会ってプロミュージシャンを目指すようになり大学には行かずにバンド活動を続けました。

社会に出てからは小学生の頃から抱えていた精神的な違和感や矛盾に目が行くようになり宗教に答えを求めました。

上京していた5年間はバンド活動をしながら仏教や神道キリスト教等の門を叩き様々な教えを貪り歩きました。

現在もその頃から縁のある団体に籍を置いて密教を学んでいます。

決してドラマチックな人生ではなかったはずなのですが、実はこれまでに三度ほど命を断とうとしたことがあって、やはり常に奥行き的なものを考えさせられる運命にはあったのだと思います。

4年程前に書店で「シリウス革命」というヌーソロジーの書籍を手にしてから、居ても立ってもいられず福岡のヌースレクチャーに話を聞きに行きました。

今日まで空間や奥行きについて考えない日は1日もないというハマりようです。

こうやってブログでは自分の思う根拠のない宇宙観や奥行き像を書いていますが、もっと量子学や数学、哲学を知って整合性の取れるものにしていきたいというのが今後の目標です。

 

では自己紹介はこれくらいにしていつものように根拠はないけど夢のある宇宙観の提案に入らせていただきます。笑

 

意識とは振幅として降ろされた回転??

さて、今窓の外から鳥のさえずりが聞こえています。

この時僕は部屋の中の「ここ」と外の「その辺り」に意識を振幅させています。

「ここ」というのはまさに「部屋の中のここ」でもいいし、前回お話ししたヘリオスフィアの球体としての自身でも構いません。

前回の記事

https://nobiyan.hatenablog.com/entry/2019/01/06/123028

次に僕はスマホを見ながら海外のニュースによって世界情勢と接しています。

この時も僕は「ここ」と「その辺り」に意識を振幅させています。

「その辺り」がかなり地球規模になりました。

ここまでお話しした振幅は主に空間的な振幅と言えるのではないでしょうか。

次に、冒頭での自己紹介の様に昔の話をする時、僕は「いま」と「その頃」に意識を振幅させています。

子供の頃の話をする時は40年くらいの意識の振幅、源平の話の時は800年くらいの意識の振幅になっていますね。

これらは時間的な振幅といえます。

また、現実の話ではない今後の目標や将来の夢などといった空想の領域に対しても同じ様に意識は振幅しています。

その場合は「虚と実」の振幅になっていますね。

そしてそれらに合わせてこれを読む皆さんも僕の話に同調して「その辺り」や「その頃」に意識を振幅させているのではないかと思います。

こうやってみると意識というものは決して脳のシナプスや心がその機能によって偶発的に、そして局所的に生じているものではなく、必ず「ここ」や「いま」と「その辺り」や「その頃」との間に、両者を連関させている反復のように生じているものだと考えることができます。

この空間的な振幅、時間的な振幅、さらに虚実の振幅といったものが、例外なく全ての意識と呼べるものの一面として定義できる反復の姿とはいえないでしょうか。

今回奥ゆ記したい事は、その振幅として存在している僕らの意識が、通常は天体の運行やあらゆる事象の結果として考えるのですが、実は原因にもなっており、宇宙や存在の回転と表裏の関係となっているという仮説です。

このブログでお話ししているヘリオスフィアとしての僕らが、意識活動をすることによってその中を時間、空間、虚実の振幅として波打たせています。

それらの振幅が回転として合成されているのが様々な存在や事象、つまり惑星の回転や物質の存在となっているという考え方です。 f:id:Nobiyan:20190110203343g:plain

(このGIFはRaimuさんに紹介していただいたものです。ヌーソロジーに興味のある方は是非彼のブログもご覧になってみてください)

Raimuさんのブログ「哲学思考のなれの果て」

http://tetugakunarehate.cocolog-nifty.com/blog/2018/09/10-95ef.html

 

互いに傷つけ合うわ自然破壊はするわで、自分たち人類に対してどうしても否定的になりがちですが、そうやって宇宙の原因にもなっているという仮説が、決して人類が神の誤算ではなかったというストーリーの持続性になるのです。

ですから人類が進化して俗世的な意識活動をやめてしまったら逆に宇宙は運行や進化を止めてしまいます。

ここに、確かに進化はするけど意識活動は「創造」という形で続けて行くのだという人類の今後のあり方のヒントが置かれているのだと思います。