奥ゆ記

ヌーソロジー片手に奥行きを歩きましょう♪

存在〜太陽の秘密より

晴れわたる空に、輝く太陽。

太陽ってガスの集まりなんだそうですね。

絵を描くときに丸く書くのはよしとして、ほんとは固体の球体ではないということに少し意識的になれば、そこには新たな宇宙像が見えてくるんです。

今日はこの辺りから歩きはじめてみたいと思います。

 

ガスが集まる??

「ガスが集まる」という状況。

この太陽の姿をよく観察してしっかりと自分で思考してみることで驚くべき事実が浮かび上がってきます。

それは、太陽というものは本当は「外側がある形状」なのではなく、中心と全体で存在しているということです。

しかもその中心は、紙に鉛筆で描けるような実(じつ)の点ではなく、回転や渦の中心に表現されるような虚(きょ)の点であるということです。

これからそのことについてお話しします。

 

この宇宙は「立体を入れるモノ」ではない??

よく考えてみると、液体や気体つまり流体が一つのところにに集まるというのは、僕らが知っているところでは、「水たまり」「台風の目」「お風呂の排水口」などが挙げられます。

これらは全て、決して中心に「実体」となる何かがあって、それが媒体を引き付けているという運びではなく、あくまでもその現象の上位にある「周囲から中心にあつらえられた道行き」に従った作用であることが自明の理としてわかります。

太陽の場合も全く同じように思考してみると、それは丁度台風の姿が、まわりの空間との間に境界を持たないことを連想するようなもので、中心から離れていくと次第に存在感は薄まっていくのですが、そうなりつつも宇宙全体にまで途切れることなく広がっていくという形態として捉えることが出来ます。

そしてその中心部は最後の最後まで実体がなく、あくまでも作用の道すじがどこまでも続いています。

お風呂の排水口から川に流れて海に行き、再び雨となって水道水となり、お風呂の蛇口から戻ってくるのを連想するとそこにも新たな宇宙像が広がっています。

僕の個人的なヌーソロジーによる解釈では、この排水口から蛇口までにあたる表に見えない領域が、実は素粒子の世界であり、僕らの無意識構造というわけです。

それでいくと、僕らに現象として見えている太陽の姿は、排水口の周辺に集められた、あくまでもガスの層のうわずみ部分が見えているのに過ぎません。

さらにずっと外側から見ると冥王星の軌道を超える辺りまで集められたプラズマがヘリオ スフィアの層を作っています。

ヘリオ スフィアというのは、科学の説明によると「太陽から放射されるプラズマという粒子が行き渡る空間」のことで、冥王星の軌道よりも大きな球状をなしているそうです。

何かおかしくありませんか?

科学の説明と比較すると「作用のあり方」が逆になってることがわかるでしょうか?

科学の説明によるとヘリオ スフィアは「太陽から放射されるその力が及ぶ限界」ですね。

今僕らが自分で思考した宇宙像の場合、「中心に全てが集まっていく運び」となっています。

次第にわかってきますが、この違いが「物質と精神」の違いに発展します。

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このように、自分で思考することによって宇宙観を育てていくと、実はガスの集まりである太陽だけでなく、鉱物の集まりである惑星も、さらに言うなら地上のあらゆる物質や存在する事象すべては、このような「中心と全体」による存在の形態をしているということがみえてきます。

" 物は外側、つまり外延で存在しているのではなく、中心と全体で存在していて、そのことからも、「個々の物同士」は決して一つの「入れモノとしての空間」の中に散在して置かれている運びなのではなく、全体と「中心を位置付けている点」を介して階層的に関わり合っている "

これがこの章のタイトル、この宇宙は「立体を入れるモノ」ではない、ということの意味です。

前回の記事で紹介したライプニッツの哲学を現代に蘇らせるとしたら、僕的にはこのようなシンプルな宇宙観がいいのではないかと思うのですが。。

前回の記事

https://nobiyan.hatenablog.com/entry/2019/01/03/011558

 

こういった宇宙観は、今後そこに「階層的な構造を持った宇宙の精神」を見いだすための基本となる概念を、下地として自分の認識に落とし込むのに最も都合の良い見方となります。

 

全ては反転している??

宇宙の全てのものが、実際にはこのような存在の形式をもっているということが、奥行きの思考として成り立つとわかったところで、次回はこのような宇宙と私たちの身体、意識が関わり合っている辺りを歩いてみたいと思います。

 

2019.01.06 一部修正、加筆